11《加藤登紀子》前編

 「6羽のかもめ」の主題歌(「かもめ挽歌」)は加藤登紀子に頼んだ。千駄ヶ谷の自宅に押しかけ、作詞・作曲・歌唱のすべてを頼んだのである。番組が当たらなかったので、テレビの力でヒットすることもなかったが、それでも彼女は自分のLPの中に入れて、コンサートでときどき歌ってくれる。彼女との出会いはその5年前、私がスタ千のデスクになった2月の寒い夜だった。番組の縁ではなく、お酒の縁だった。場所は彼女の父母が経営する「新宿スンガリー」。そのころは新宿コマの前にあった。当時東京でズブロッカというポーランドの酒を置いてあるのはこの店だけだった。ズブという薬草が一本は言ったウオッカである。冷凍庫に入れても凍らずにネットリしたのを飲むと、甘い桜餅の匂いがして、つい飲み過ぎて足を取られる悪い酒だった。それを狙って、我々は毎夜「遅くから」入り浸っていた。そのズブロッカ以上に魅力的な女性がカウンターの向こうにいて、彼女がサッチャンこと加藤幸子。登紀子の姉さんだった。スタ千の専任Dの小村恒夫と二人でズブを飲んでサッチャンをかまって終電で帰宅するのが日課だった。そんな夜、終電を逃して、客のいない店に腰を据えたとき、ギターを持って入って来たのがサッチャンの妹のトコこと登紀子だった。彼女が東大生時代にシャンソンコンクールに優勝して、歌手を目指していることは知っていた。彼女は小村先輩とは顔見知りだったので、私にもすぐ打ち解け、「新しい歌聞いてくれる?」と、ギターを引いて歌ったのが「ひとり寝の子守唄」の原曲だった。曲はほとんど同じだったが、詞は今のと大きく違っていた。「どう?」と聞かれたので言った。「冬の夜、木賃宿みたいな所で男と体を温め合ったことは・・・ないだろ?」彼女は頷いた。「そんな時、男が冷えているのはひざ小僧」。「女は?」「女はケツッペタだな」。彼女はしばらく私を見つめて「分かった。作り直す」といって出て行った。翌日か翌々日の深夜、同じ場所に彼女がやってきた。彼女は新しい詞でもう一度歌った。それが現在の「ひとり寝」だった。前よりも数段よかった。翌3月、彼女はこの曲をレコーディングし、年末、この歌でレコード大賞歌唱賞を受賞する。