15《青木ヶ原から北の国へ》

 春の終わりごろ、私の復帰の噂を聞いたのか、倉本聰が訪ねて来た。二人で河田町のフジテレビの入口アーケードの喫茶店でお茶を飲んだ。「6羽のかもめ」以来である。倉本が私に尋ねた。「ネットワークに何年いたの?」「足掛けだと6年だけど、丸4年ちょっとかな」「そんなに長く休んでいたのなら、少しはいい企画を考えて来たろ?」「まあね」と、私は富士の裾野に丸木小屋を建ててホームドラマを作る話をした。途端に、大きな音を立てて彼が立ち上がった。喫茶店の中央の熱帯魚の水槽柱の横に、彼は直立していた。驚く私に最敬礼をして言った。「それを富良野でやらせてよ! 文ちゃん」「富良野って何?」。彼は座り直してコースターの裏に北海道の絵を描き、その真ん中に印を入れた。「富良野ってのは、いま俺が住んでる所。北海道の真ん中で、北海道のヘソと言われている。夏にはヘソ祭りもある」。
 私の知っている倉本家は杉並の善福寺だった。そこから北海道に引っ越したと言う。彼は言葉を尽くして北海道の自然の豊かさと凄みを説明した。それは分かるが、直感では制作費が掛かり過ぎた。毎週通うスタッフや俳優の交通費と滞在費の差は大きい。生返事をする私に「とにかく富良野を見に来てよ」と言って彼は去った。
 その夏、「6羽のかもめ」の俳優座側プロデューサーだった垣内健二と、新制作のプロデューサーでフジプロに合流していた中村敏夫の三人で富良野を訪問した。富良野プリンスホテルのすぐそばに倉本聰夫妻の家があった。
 彼はジープを運転して東大の演習林や麓郷を案内してくれた。近くにゴルフ場があり、まだゴルフを覚えていなかった私を残して三人はゴルフに出掛けた。残った私はホテルの庭にいた。向こうの林から突然顔を出したキタキツネに驚いた。急いで写真に撮り、独りで納得していた。こんな近くにキタキツネがいる。林の奥にはキツツキやフクロウ、エゾシカにヒグマ…。やはり青木ヶ原より北海道が正解か。やがて倉本から登場人物表が送られてきた。それに私が企画意図と前書きを付けて、二人の筆跡のままコピーして、企画書を10冊限定で作った。スポンサーに見せるのではなく、本社編成部を説得するための企画書である。タイトルは白川案で「北の国から」(仮題)にしたが、倉本はさだまさしの新曲「関白宣言」をもじって考えた「腕白宣言」にこだわり、説得に苦労した。その企画書にあのキタキツネの写真を貼り、片岡社長に見せた。彼は「面白い。準備は進めていいが、企画書は編成に出すな。しまっておけ」。どうして?という私に、彼は「今に分かるから」と笑うだけだった。