2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

16《フジの大改造。反撃の始まり》

翌年の4月末、片岡社長が私に小声で言った。「吃驚することがある」「何ですか?」「村上さんが帰って来る」。エーッ!と驚く私に「春雄さんと村上さんでフジを立て直すことになる」。春雄さんとは鹿内信隆の長男でジュニアと言われていた。えらいこっちゃ…

15《青木ヶ原から北の国へ》

春の終わりごろ、私の復帰の噂を聞いたのか、倉本聰が訪ねて来た。二人で河田町のフジテレビの入口アーケードの喫茶店でお茶を飲んだ。「6羽のかもめ」以来である。倉本が私に尋ねた。「ネットワークに何年いたの?」「足掛けだと6年だけど、丸4年ちょっ…

14《制作現場に復帰》

この仕事が刺激になって、制作現場への思いが高まった。フジの番組は相変わらず不審を極めていた。ネットワークの業務のかたわら、無意識のうちに「ホームドラマの原点」について考えていた。日本のホームドラマは小津安二郎らの松竹大船から始まった。米国…

13《21世紀の日本を考える》

全国のラジオ、テレビの民放で作った団体がある。日本民間放送連盟(民放連)と言う。毎年10月には連盟の大会(民放祭)が開かれ、番組の表彰や技術革新の展示、記念講演などを行っている。広島開局の直後、片岡総務局長に呼ばれた。私の入社当時の編成部副…

12《ネットワークも悪くない》

ネットワーク部には昭和49年10月から54年の2月末まで丸4年4ヵ月いた。忙しかった昭和50年が終わると、すっかり慣れた職場になり、系列各社の東京や本社に友人も増え、付き合いも増えた。 各社に招かれ、出張する時には、その県の歴史や風土を予習したり、…

11《広島に神風吹く。カープの初優勝》

昭和50年の広島は暑かった。新社屋ができるまでの仮事務所は国泰寺にあった。大部屋は新人を含めた社員で溢れ、みんなランニングシャツで仕事をしていた。 そのころ古葉監督率いる山本浩二以下の赤ヘル軍団・広島東洋カープは、絶好調でペナントレースを走っ…

10《腸捻転ネットの解消》

現在のテレビ朝日(ANB)は、フジと同じ年に開局した時には日本教育テレビ(NET)という教育専門局だった。その後開局した東京12チャンネルも技術教育の専門局だった。この2局が一般総合局になったのが昭和47年だった。これを機に朝日、読売、毎日の各新聞…

9《いきなり広島の開局応援》

ということで、私の最初の仕事は系列各局に対する御用聞きをやりながら、当面は主として広島の新局の開局を手伝うことになった。村上さんとは不思議な縁であり、今度は少しでもご恩返しのチャンスだと張り切った。 テレビ新広島は資本的には中国電力を中心に…

8《ネットワークの御用聞き》

私がネットワーク局のネットワーク部に配属されたのは、その全国ネット体制の仕上げの時期だった。 ネットワーク局には、個々の番組のネット交渉、連絡をする部署や、個々の番組の料金を交渉し、計算し、配分する料金班や、番組を全国のローカル局に売り歩く…