5《わたしは言葉が分からない》

 既存メディアの先輩たちに混じって、新卒の新人たちが最初に戸惑ったのは言葉である。先輩たちが勝手に自分が育った業界の用語や符丁を使うのだから、たまったものではない。アメリカのテレビ業界から来た外来語は勉強すれば分かるからまだ良い。裏方さんのフチョウは難解だった。テレビ50年の今でこそギョーカイ語が外に広がって、例えば「タッパ」が「高さ」だと分かるが、当時は建物の高さを言う大工のフチョウで、セットを建て込むときデザイナーが使っていた。だから映画屋さんには通じても我々新入社員には「?」である。セットは道具を分解することはバラバラにするから「バラす」で分かるが、取っ払ったり片付けることを「わらう」と言う。これは分からない。制作部に配属されてサードAD(3番目のアシスタント・ディレクター。要するに雑用係)になった同期生が「おーい、そこのフスマとコタツ全部わらって!」とディレクターに言われてフリーズした。可哀想に、ディズニーじゃあるまいし、フスマとコタツが笑えばお化け屋敷になる。

 フジテレビの中だけで通用するフチョウもあった。アパッチという言葉がそれである。北米先住民の中でもっとも勇猛勇敢な部族の名前が、フジテレビの中では「やや非合法であるが効果的な仕事の進め方」の概念として使われていた。つまり「(会社の組織は組織として無視もできないが)仕事に国境無し。組織をバイパスしても早い者勝ち。ルール無視でも勝てば官軍」とでも言った意味である。ある組織の責任者が頭が固かったり、説得するのに時間がかかりそうなとき、関係部局の下っ端同士が横の連絡で話をつけてしまうのはアパッチの1つの例である。このやりかたは、下っ端には都合の良い方式だったので、私は好きだった。しかし時には自分たちのセクションが飛ばされたりするから油断できない。編成の中でまだオーソライズできていない企画が、なぜか広告主に打診され、内定された後に社内で決まったりする場合は、営業の誰かと制作部のディレクターの誰かがタッグを組んでアパッチしたケースが多い。制作部の五社さんが、夜更けに一人原稿を書いていた編成部の私のところに企画を持ってきたのも、彼の上司である制作部長を飛ばした点で、厳密に言えばアパッチだった。持って行った先が編成の偉い人なら、制作部長はツムジを曲げたかもしれない。が、私は下っ端過ぎたのか、幸いにもトラブルにはならなかった。ここで私が配属された編成部について説明しよう。(つづく)


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