1《編成企画で12年》

 入社した年の10月改編が終わったころ、私は編成部の調査から企画に回された。企画班の先輩が「とりあえず年末年始の企画書を、君に全部書いてもらおう」と言ってニヤリとした意味がわかったのは後になってからだった。編成表を見れば、年末年始番組は大小わずか30番組ほど。通常業務以外に1日2本も書けば2週間の仕事と思ったのが大間違いだった。
 開局してまもないフジテレビは、ギリギリの人員で構成されていた。制作現場も例外ではない。何しろ他局ではディレクターの上にプロデューサーがいるのに、我が社はDとPを一人でやっていたため、PDという符丁を使っていた。困ったことに、優秀なPDほど忙しいのである。編成や制作のお偉方がそのPDたちを宥めたり煽てたりしながら、さらに年末年始の特別番組を割り当てるのだから、彼らはさらに忙しくなり、終日会社に現れないことも多い。こちらは番組のタイトルやキャッチフレーズを考える前に、中身の相談が先である。担当PDを捕まえなくては何もできないのだが、携帯はおろか自宅に電話を引くのすら大変だった時代にPDを捕まえるのが大変だった。職場にメモを貼ったり、PD宅に電報を打ったり、周辺の溜まり場に顔を出したり……。
 編成は制作と営業の間にいる調整役である。視聴率や局イメージを上げる工夫をしながら営業に協力する部署なのに、仮題だらけの番組表と簡単な口頭説明でセールスに走らされる営業マンもたまったものではない。彼らは編成部に連日やってきて「企画書はまだか!」と怒鳴る。怖い顔のくせに言葉だけ優しくする人もいて、これは怒鳴られるより怖かった。「ねぇ、頼むよ、編成さん。編成の若旦那。早くちょうだいよ。企画書がないとね……俺たち商売にならないの。いつできるのよ。いつできるかぐらい言えるだろ」。書く方も売る方も、お互い、年の瀬は目の前である。
 やっと捕まえたあるPDは「バカ、オンエアまでまだ一ヶ月ある。何も決めてないよ」と悠然としている。それでも悪い目付きでムッとしている私に悪いと思ったのか「一杯飲みに行くか」と誘い、そこで盛り上がってタイトルまで決まる場合もあった。ギリギリまで決めないで迷い抜くのも、現場の根性である。冷や汗かいても間際になれば何とかなって、なぜか無事に番組が放送されるのがテレビなのである。あの年、一日最多で7冊の企画書を書き上げたが、この記録は45年間破られていない。すべてが終わったあとで編成の先輩が言った。「お前、体調大丈夫か?」「大丈夫です」「おかしいな。前の年に担当したMはノイローゼになったけど、ホントにどこも悪くないの?」「はあ」「じゃ暫くやれそうだな」。
 その暫くが12年続いた。企画書書きだけの生活はまもなく終わった。映画や芝居や音楽、そして何よりも乱読を肥やしにして、新しい番組を考えたり、仕掛けたり、さまざまな分野の才能を探し、組み合わせを考える仕事が増えた。誕生させた番組、誕生に立ち会った番組、誕生を手伝った番組など色々やりながらも、企画書書きだけは最後まで楽しんだ。出会った番組のすべてが懐かしいが、その中で視聴者が今も覚えていてくれる番組はほとんどない。そのころから今なお生き残っている番組などありはしない。それがテレビの宿命である。でもごく稀にはある。それが正月のフジテレビの定番『新春スターかくし芸大会』である。